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■ ジャイアントパンダ「タンタン」病死のご報告 ■
当園のジャイアントパンダ「タンタン」(メス・28歳)が、2024(令和6)年3月31日(日曜)午後11時56分に死亡しましたので、ここに謹んでお知らせいたします。



会場入口
会場入口
分類
 ジャイアントパンダは※食肉目に分類されます。しかし、さらに細かく分類した場合にクマ科に含めるのか、 独立した”ジャイアントパンダ科”としてあつかうのかで説が分かれています。
 当園では、中国にならいジャイアントパンダ科と表示しています。
 ※食肉目・・ミアキスという大昔の動物から進化した、主に肉食の動物。 ネコ科、イヌ科、クマ科などが含まれます。

もう一つのパンダ
レッサ−パンダ
レッサ−パンダ
 ジャイアントパンダが発見されるまで、パンダとはレッサーパンダを指しました。 この2種には、主食がタケであること、タケを食べるため歯の形が似ていること、 前肢には6本目の指といわれるでっぱりがあり、上手にタケを握れることなどの共通点があります。


  
西欧人に発見されたパンダ
 1869年3月、フランス人のダビット神父は、四川省の山奥の農家で「白熊」とよばれる白黒の大きな毛皮を見つけました。 翌年、彼はその毛皮と頭の骨などをフランスに持ちかえり、パリ大学の動物学者エドワード教授に見せました。  研究の結果、「白熊」はクマの一種ではないとし、『アイルロポダ・メラノレウカ』(ジャイアントパンダの学名)と命名しました。

中国での記録
 中国の古い記録には、”白熊”としてパンダのことが紹介されています。 しかし、一般にはその存在はほとんど知られていませんでした。 また、パンダの生息地近くに暮らす少数の人々は、パンダを知っていましたが、 単なるクマの一種と考えていました。
 以上のことから、19世紀にパンダブームが欧米から中国に伝わるまで、 民話や絵画などにパンダが登場することはありませんでした。

欧米で飼育された最初のパンダ
 生きたパンダがはじめて欧米に渡ったのは、ダビット神父による発見から67年後の1936年のこと。 アメリカのルース・ハークネス夫人が赤ん坊のパンダを持って帰ったのが最初でした。 スーリンと名づけられたこのパンダは、翌1937年、シカゴのブルックフィールド動物園にひきとられ、 動物園で飼育された最初のパンダとなりました。



目・・・ 実は、小さく鋭い
毛・・・ かたくて、パサパサ
歯・・・ 犬歯は大きい。臼歯は平ら。こどもは24本、おとな42本
前肢・・・ 前肢首の種子骨が発達し、6番目の指と言われるでっぱりになっている。これで、物を上手につかめる。
骨・・・ 太くがっしりしている。関節が柔らかく、色々なポーズが出きる。
後肢・・・ 前肢より小さい。5本指。ヒトやクマのように、かかとをつけて歩く。

* 目
前肢(左)型
頭骨


ふるさと
キンシコウ  パンダのふるさとは、中国の四川省西北部を中心とする陝西省南部、甘粛省南部にかけての高山地帯です。
主に、海抜1800m〜3200mの湿気の多い竹林や、針葉樹と落葉広葉樹が交じり合って茂る森林に生息します。 冬場には、海抜800mあたりまで降りてくることもあります。 パンダの生息地や、その周辺にはキンシコウやユキヒョウといっためずらしい動物も生息します。

くらしかた
 オス・メス共に普段は単独でくらします。クマのように冬ごもりはしません。 平均的な行動範囲は5kuですが、なわばりは持ちません。 1日に500m以上歩くことは少なく、10時間〜16時間も眠り、残った時間は食べています。 行動範囲の中を歩くときは、いつも同じ道を選びます。 発情期には、通り道の木や石に、肛門の近くから出る液をこすりつけ、においつけをします。
 木登りは得意ですが、降りるのは苦手でよく落ちます。

食べ物
 ジャイアントパンダの食べ物うち、99%はタケです。 食べるのに1日14時間を費やします。タケの種類は40種類以上あり、そのうち30種類を主に食べます。 また、季節的にタケの食べる部分が変わります。

タケの摂取部分と量の季節的変化
季節 摂取部分 食事量/1日
春から夏 タケノコ 40kg
若葉 10kg
葉と枝先 18kg
フン
 ジャイアントパンダは、歩きながら排便することが多く、フンはふつう緑色しています。 フンの中には、そのままタケの葉や2.5〜4cm位の短い茎が見られます。

繁殖
 オスが6才〜7才、メスが5才〜6才でおとなになります。 3月から4月頃に恋の季節を迎え交尾をします。 交尾から125日〜150日後に1頭〜2頭(ごくまれに3頭)の仔を、岩穴や木の洞の巣で生みます。 妊娠期間の長さの割に、仔は未発達で小さく生まれます。 3週間ほどで巣を離れ、移動生活をはじめます。

1000頭になった原因
 今、野生のパンダは中国のごく一部に、1000頭ほどしかいないといわれています。 しかし昔は中国、ベトナム、ミャンマーにかけて広く分布していました。

数が減った理由として
繁殖率や生まれた仔の生存率が他の動物に比べ低いこと
めずらしい動物であるため捕獲されたこと、
生息地の減少
が指摘されます。 特に20世紀に入り、パンダが世界中に知られるようになり、さらに捕獲が増えました。 1980年代後半には、密猟された146頭の毛皮が押収される事件も起きています。
 生息地の減少は、急激な人口増加による森林伐採が、大きな要因といわれています。
 その他では、1970年のタケの開花(タケは、約60〜80年に1回一斉に開花し、 直後から10年間は再生しない)があげらえます。しかし何万年も続いた自然現象で、 野生動物であるパンダが、極端に減ったとは考えられません。 1970年の場合は、その頃すでに生息数が少なくなっていたところに、 タケの開花が間接的に追い討ちをかけたと考えられます。

保護
 中国では、1957年からパンダの保護が始まりました。 1963年に最初の保護区が指定され、1970年中ごろに生息数などの調査が行なわれました。 さらに、国家一級保護動物として、保護区や研究施設も増設されるようになりました。
 世界自然保護基金(WWF)の活動など、国際的な保護政策として、 ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動物の種の国際取引に関する条約) では付属書Tにランクされ、売買が禁止されています。
 また、国際自然保護連合(IUCN)および、 日本の環境庁によるレッド・リスト(絶滅の危機に瀕する生物の生息状況)でも、 絶滅危惧(近い将来、野性下で絶滅のおそれのある種)に指定され、保護の重要性が説かれています。



動物園での繁殖状況
 中国の北京・成都などの動物園では、飼育頭数が多いこともあり、 1963年から毎年のように子どもが生まれています。上海では人工哺育にも成功しました。
 中国以外で、初めて繁殖に成功したのは、メキシコで、2番目はスペインです。 3番目はアメリカでしたが、残念ながらすぐ死亡し、 生存例からいくと3番目は日本(上野動物園)になります。
 日本で初めて生まれたパンダは、2日後に亡くなりました。 しかし、1986年6月1日にトントンが、ついで1988年6月23日にユウユウが、 いずれも人工授精によって生まれ、育ちました。

パンダの結婚
 パンダはふつう単独でくらしますが、発情期にはオスとメスが一緒になり結婚します。 飼育下では、その発情期にあわせてオス・メスを一緒にします。 うまくいくと自然に交尾をし、繁殖に結びつきますが、相性もあり、 中国以外の動物園では、相手を選ぶこともできないので、なかなかうまくいきません。
 またパンダの発情は年1回だけで、しかもメスの受精可能時間が短く、 大変繁殖のむずかしい動物といえます。

人工授精
 どうしても自然に交配できないとき、人工授精をすることがあります。 人工授精は、メスの発情に合わせて、オスの精液を採取し、メスの体内に注入します。 高度な技術が要求されますが、上野動物園ではこれに成功し、2頭のパンダが元気に育ちました。

成長過程
白黒模様が出てくる 生後7日頃
目が開く 40日頃
はう 3ヶ月頃
歩く 4ヶ月頃
木に登る 6ヶ月頃
離乳 8〜9ヶ月頃
ひとりだち 1〜1.5才頃

赤ちゃんパンダ
中国から送り出されたパンダ
 中国以外で初めての展示は、1937年アメリカ・シカゴの動物園でした。 以来、欧米をはじめ各地でパンダが紹介されました。
 日本では、中国との国交回復記念に、上野動物園で1972年から飼育されています。
 1980年代には動物親善大使ということで日本各地の博覧会等に貸し出されたこともありましたが、 繁殖を期待できないことから全て禁止されました。

動物園における保護
 最近では、国際繁殖研究の目的で中国と共同で飼育繁殖研究をするようになりました。
 ジャイアントパンダをはじめ、絶滅の危機にある動物を保全するために、 世界各国の動物園が連帯を持ち、「種の保存」に力に注いでいます。
 1993年以降、国際繁殖研究に限り中国以外での飼育が可能となり王子動物園もその一つです。

 白黒もようが美しく、しぐさがユニークなジャイアントパンダ。 だれからも愛されているこの動物が、地球上からいなくなってしまうとしたら、 とても悲しいことです。
 パンダ以外にも、生息地を奪われた多くの生物たちが、今、 加速をつけて絶滅にむかっているといわれています。
 この絶滅をくいとめられるかどうかは、わたしたち人間にかかっています。 生き物たちを守るには、その生息地の環境に加え地球環境まで考えなければなりません。 それには、個人の努力から国際的な協力までいろいろなレベルでの行動が必要です。
 わたしたちにもきっと何かができるはずです。考えてみましょう。

参考資料
はばたき 第47号 特別展「神戸にパンダがやって来た!」(H12.7.16〜H13.2.13)